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未来の台湾総統候補「蔣万安」が台北市長に当選、国民党が政権交代の布石|台湾『統一選』


【政治報道】 令和四年十一月二十六日に台湾(中華民国、総統:蔡英文)にて四年に一度の『統一地方選』の投開票が行われた。中道左派とする嫌中与党・民主進歩党(主席:同)は二十二の県・市長選内、五首長選の勝利に止まった(二首長の減、一市長選を除く)。


中道右派とする親中野党の中国国民党(主席:朱立倫 )は、十三首長を維持。無所属が伸びた。台湾では「民進党vs国民党」の二大政党制。明後年に『総統選』を控える。


今回の統一選の結果より、同日に英文主席(丙申)は辞任を表明。総統職には留まる。実質的に都知事選に同じ首都『台北市長選』では、国民党・蔣万安(ジアン ワンアン、戊午)弁護士が当選。写真上。蔣介石(丁亥)元・総統のひ孫で四十代前半。将来の総統候補の一人。



<台湾の現況>


 台湾の国会に当たる「立法院」では、民進党が過半を占める。併しながら、首長は国民党が上回り、総統は民進党。


台湾島は九州よりやや小さい。人口=二千三百万人(令和三年十二月時点)、GDP=百八兆円(令和三年)。民主共和制で、五権分立(司法・立法・行政・監察・考試)。監査は公務員と国家機関の不正へ弾劾権等を有し、各国家機関へ会計監査等を行う。考試は、日本の人事院に相当。


民進・英文政権は平成二十八年より。二百四十六万人(令和四年九月時点)を擁す首都・台北にて国民党が勝利した点は大きい。平成二十六年に無所属の候補に負け続けていた。首都を押さえた国民党は明後年の総統選にて政権交代が起こる可能性が高まった。



台湾政府の歴史

 日中関係に大きく関与する台湾の若手政治家・蔣万安を知っておく必要があるだろう。その為には、国民党の歴史を俯瞰する。以下に時系列を記す。支那は、十八世紀から昭和四十五(一九七〇)年の「文化大革命」まで二百年間に亘る内乱期。

  • 明治四十五(一九一二)年:中華民国「臨時政府」が成立。臨時大総統に孫文(丙寅)⇒統領に袁世凱

  • 大正八(一九一九)年:孫文が国民党を結党。自民党よりも歴史が古い

  • 同十(一九二一)年:広州に「革命政府」を孫文が樹立。毛沢東が親ソ「中国共産党」を結成

  • 同十四(一九二五)年:広州「国民政府(旧・革命政府)」を国民党が樹立⇒武漢。主席に汪兆銘


  • 昭和二(一九二七)年:親米英の南京「国民政府(旧・革命政府)」を樹立。主席に孫文の後継者・蔣介石

  • 同六(一九三一)年:『満洲事変(大日本帝国vs中華民国)』勃発。江西省にて中華ソヴィエト共和国「臨時政府」が樹立、主席に毛沢東

  • 同十二(一九三七)年:『盧溝橋事件(同)』発生。南京政府⇒重慶政府

  • 同十五(一九四〇)年:南京に新・中華民国「国民政府」を樹立。主席代理に汪兆銘。親日政権

  • 同十六(一九四一)年:重慶政府(軍事委員長:蔣介石)が大日本帝国(天皇:昭和帝)へ宣戦布告

  • 同二十(一九四五)年:日本敗戦により、新・南京政府が解散消滅

  • 同二十四(一九四九)年:国共内戦(中華民国vs中華人民共和国)より、台湾「国民政府(旧・南京政府)」を再編⇒現・台湾政府


蔣介石のひ孫である蔣万安は、首都・台北にて弁護士として、数十社の新興企業の資金調達(数百万㌦)を支援してきた。政界への転向意図を「新興企業の繁栄を支援する事」とする。起業家が資本・人材・初期ビジネス開発の最も厄介な問題を解決できる様に支援していく。


 

画像:蔣萬安/Facebook、NewsPics


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